Quux Journal since 2018

自称個人投資家という早期退職無業者のブログ

他人に迎合しない

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座右の銘とかモットーとかいうものを聞かれた時、迷わず答えるのは「他人(ひと)に迎合しない」ということです。ちょっと笑われるくらいがネタにちょうどいいと思っているのですが、逆に共感してくれる人もいるでしょう。

他人に迎合しない、とわざわざ言葉にしたのは大人になってからのことで間違いないのですが、気持ちとして完成したのはもう本当に子どもの頃のことです。平たく言えば、「みんなと同じが正しいわけではない。自分で考えろ」という程度のことを少し面白い言い方にしたに過ぎないのですが。この信念は2ステップで完成されました。1ステップ目は他人と同じことをしようとして失敗したこと、2ステップ目は他人の意見につられず正しい解にたどり着いたことです。

1ステップ目のエピソードは幼稚園のときに起こりました。私は運動会で障害物競走に参加します。いくつかの障害をこえてレース終盤に差し掛かったとき、L字トンネルくぐりに遭遇します。5〜6人の同時走者に対してL字トンネルが3基ほど置かれていました。鈍臭くいちばん後ろを走っていた私がそこに到着したときに見たものは、トンネルのうち1基のみに行列をつくって挑んでいる先行者たちです。トンネルは一度に一人しか入れませんから、さらにその後ろに並べば順位は最下位で固定されます。にもかかわらず人と違うことをして仲間はずれにされることを常に恐れていた私にはそうする以外の道はありませんでした。空いているトンネルを通って「抜け駆け」することは、悪いことのように思えたのです。もちろん最下位でゴールした後になって後悔しました。

2ステップ目のエピソードは小学校のとき。何年生かは覚えていませんが、算数の比例を扱う授業です。一通り説明を受けた後、ある2つの変数の関係が比例の関係かそうでないかを聞かれます。練習用の例題は「親の年齢とその子の年齢」です。1年たてば親の年齢も子の年齢も1歳増えます。反比例でないことは明らかですが、決して比例しているわけでもありません。親が40歳のとき子どもが20歳だったとして、比例するなら親が4歳のとき子どもは2歳、親が2歳なら子どもは1歳です。1歳差の親子。そんなはずはありません。ところが「比例すると思う人」と先生が聞いたところに何人かが手を挙げます。「ふはは、だまされないぞ」と思いますが、パラパラと手を挙げる人が増えていき、クラスの大多数が手を挙げる結果に。しかし過去の失敗を糧とし、最早愚民どもと一緒の行動をとる私ではありません。「比例しないと思う人」のところで手を挙げたのは、なんと私一人。もちろん答えを聞く前に「勝った」と思いました。

そんな大したことない話をこの歳になっても克明に覚えている、ちょっと性格のねじ曲がったおっさんなのでした。